FC2ブログ

プロフィール

みかえる♪

Author:みかえる♪
大仙市コミュニティFM「FMはなび」お昼の情報番組「花咲きレディオ」の火曜日担当パーソナリティをしています。歌って踊る田舎のオバチャン。うちの猫自慢、秋田の酒自慢、ためになることは全然発信しませんので悪しからず。^_^


最新記事


最新コメント


地球の名言


presented by 地球の名言

カテゴリ


月別アーカイブ



この二人は姉妹です。若い頃はきっと仲の良い姉妹だったはずです。
左は私の母です。
右も。。。。
私の母です。この11月21日に亡くなりました。

話はシータさんから離れます。

ここからは長い長い話になりますし、
私の身の上話になりますから、スルーしていただきたいです。
誰かに知ってもらいたいからということではなく
ただ、純粋に人生には奇跡が起こるんだ!と、
心が震えたことを記しておきます。



母が産みの母ではないと知ったのは大学生の頃でした。
大学生になって、大酒呑んで朝帰りするような素行の悪い娘に我慢ができなかったのでしょう。
ある日、「お前は本当は私の子じゃない。」と、母は叫びました。

産みの母と育ての母は姉妹でした。
叔母さんと呼んでいた人が私を産んだ人で、
二十年共に暮らした人は
その人の姉でした。
その時聞かされたことは
混乱した頭ではきちんと処理できなかったと思います。
知ってしまったからと言って、実の母の元に駆け込むような勇気もありませんでした。
そのまま、なにも知らなかった時と同じように過ごし、
やがて社会人となった私は、
産みの母のごく近くに就職しました。
しかし、
やはり会いに行くこともなく、
月日は流れたのです。

なぜ会いに行かなかったのか。

育ての母に
「決して会いに行ってはいけない。生活が脅かされるようなことが起こるよ。」と、
言われ続けていました。

だらしない暮らしなのだ。
お金に困っているのだ。
行ったら利用されるに決まってる。
あっちはお金に困って、お前を里子に出したのだ。

私はそれを信じ、
母方の親戚筋には決して近づかず、
当然、産みの母の家からも遠ざかる生活を続けました。

平成十三年には育ての母が亡くなりました。
それでも
その後も言いつけを守って、誰とも交流せず、
親戚筋に会うとすれば、誰かの不幸があった時だけ。
そして、今回、叔父の死。
いつものように火葬と葬儀に出席してそれでおしまい。
そう思っていました。

従兄弟が、
「あのね、相葬いって、喪主同士というか、その家同士が行き来しちゃいけないだけなんだって。
それでね、叔母さんの葬儀、急だけど25日に決めたから、出席できるか教えて。」
叔父が亡くなり、その二日後に叔母(実の母)が亡くなりました。
はじめは、不幸が重なったので、叔父さんの不幸が明けてから
お別れの会をしようという計画だったらしいのです。
あ。それなら行くわ。と、思っていましたが、
今日23日葬式で、1日置いて25日?
先週水曜日、シータさんも危篤状態で、コーラスの練習ドタキャンしてしまい、
日曜日なら挽回できると思っていたので、

「あー。わたし、仕事があるから無理だわー。」
と、答えました。
従兄弟も
「いいんだ。無理しなくてもね。」と、言ってくれたので、
その時点で、産みの母の葬儀は行かないや。と、おもっていたのです。

叔父さんの火葬の席で
一番下の叔母さん(亡くなった叔父さんの一番下の妹)、従姉妹(猫好きゆえに、唯一交流していた親戚)、従兄弟の奥さん(親戚筋の不幸の席で、常に隣になる)と、お茶を飲んでいました。
ふと、私の口から
「で?私って、なぜいらない子だったの?」と、いう言葉が発せられました。
自分の意思ではなかったかのように、自分の耳にも響きました。
言う気は無かったのに、なぜそんなこと言ってしまったのか、
自分でも不思議でした。

その瞬間、
一緒に居た三人とも
驚いた顔で
「え?」

叔母さんが真っ先に否定しました。
「遠山先生(育ての父)が美果ちゃんを望んだの。姉(育ての母)のところには子供ができなくてね。
それで、産まれたら是非!って。要らなくて捨てられたんじゃないよ。」
従兄弟の奥さんが
「わたし、何度か(介護施設に)お見舞いに行ったけどね、
叔母さん、いつも美果ちゃんとゆっくり話がしたいって言ってたのよー。」
従姉妹も
「違うよ。捨てられたんじゃないよ。」

え?え?
何なの。
母から聞かされてたことと違うじゃない。
何でみんな知ってて、わたしだけ真実を知らないの??

悔しいのと
悲しいのと
寂しいので

胸が塞がりました。

チクショー、私は何で捨てられたんだよ!と、
言ってやろうと思ってたのに。。

三人の思いがけない言葉に、
気持ちが揺らぎ、
「前言撤回。葬儀に出るよ。」
と、決心したのでした。

(つづく)




こうしてシータは旅立ちました。
夫は「旅行中、気がかりで楽しめない」なんて言っていたのです。


とーちゃん、
大丈夫だよ。
ボク、先に行って待ってるから。

シータがそう言っているとしか思えませんでした。
夫にもたくさんたくさん声にならない声で訴えていましたから。


私は、
叔父の葬式に出席して、
終わるのを待たずに帰宅。
シータを荼毘に付すため、娘と二人でいつもお世話になっているお寺さんへ。
やはり、お別れはつらくて、
もう、あのすべすべの体に触れないんだと思うと
とても耐えられませんでした。

お寺の敷地で、感傷に浸ろうとしたところに
突然知らない番号からの電話。

内容は、
何とかという合唱団の者だけど、
連盟の合唱祭でおたくの合唱団が歌ったあの曲は楽譜が出版されてないのか?

えーーー、それ、今でなくていいじゃん!
と、
ちょっと不愉快になり、
それでも、楽譜が欲しいなら後日差し上げますよ的なことを言って電話を切りました。

すると、長女が、
「おかあさん、
それ、シータさんのメッセージじゃない?」
と、言いだしたのです。
私はピンとこなかったのですが

「コーラス虹の会って言ったよね。
虹だよ。虹!
しかも、
その方が求めていた楽譜は
「ありがとうの歌」
空に昇っていくシータさんからのメッセージだよ、それ。」

な、な、なんと、
偶然にしては出来過ぎ‼️

そこでまたまた涙腺が崩壊。

「どんな縁で出逢ったのか。
どんな約束をしてきたのか。
それはお互い内緒の秘密。あとで全てがわかるだろう。」
この歌詞、深すぎる。。。

娘が今回シータさんの死に立ち会わなかったら、
私はメッセージに気づかなかったと思うのです。
この世で起きるすべてのことは、多くの人々が
立ち位置、時間、現れる場所など
パズルのようにスパっとハマる時に
正しい方向に向かう。
全てが明らかになる。
なぜかその時心にストンと落ちたのでした。

しかし、
この時点でもまだ
今回の出来事の全貌は明らかにされていませんでした。
それは、
25日の叔母の葬儀で明らかになりました。

(つづく)

11月22日午後8時12分頃、
シータさんは旅立ちました。
苦しむことなく、穏やかな最後でした。
また、ふと顔を上げて、「ご飯?」と言いそうなほど可愛く綺麗な表情でした。

おもえば、1ヶ月ほど前から
急激に食べる量が落ち、
あれ?
なんだか23日の伊勢行きのあたり、難しい状況になるかも。
と、感じたのですが、
伊勢行きは職員も楽しみにしているのであっさり取りやめにはできません。
ギリギリまで様子見しましたが、
日曜日の段階で私は行かない!と、決断し、
何があっても夫は行くことにしようと決定しました。

19日、叔父の突然の逝去の知らせがはいり、葬儀は23日というではありませんか。
伊勢への出発の日です。
私はシータの状況いかんにかかわらず、行かれなかったわけです。

そして、
21日、一時シータが危篤状態に陥り、
今夜お別れか?と、思った矢先、
今度は叔母の死の知らせが。。
叔父と叔母ですから、二人は姉弟です。
なんと、こんなこともあるんですね。

21日、私はほとんど寝ずにシータの側にいました。
弱ってはいましたが、呼吸は徐々に穏やかになり、表情も苦しそうではありませんでした。
朝、つい、うとうとしましたが、シータは息をしています。
ほっとして、
シータ、水飲む?
と、水桶を差し出しましたが、
昨日まで自力で飲めていたのに、その朝はダメでした。
それでも飲みたそうに見えたので、シリンジで少しずつ飲ませたところ、
飲み込む力がありました。

そのあと、
その場所でおしっこをしてしまい、
その後、また呼吸が荒くなりました。
そして、近くに行くと、さかんになにかを訴えるように
声にならない声で何度も鳴きました。
首を上げて、見回すような仕草、
身の置き所が無くて空をつかもうとする前脚。
何度も見てきているので
お別れが近いと感じました。

それにしても、いったい何を言ってるんだろう。。。

夜、娘が駅に到着という知らせを受け、
シータに言いました。
咲が帰ってくるよ。
会ってあげてね。
生きるって素晴らしいってことと、死にゆく哀しみを教えてあげてね。

シータはちゃんと聞き届けてくれました。
娘の帰宅後、わずか20分足らずで、最後の一呼吸を終えたのでした。
最後まで立派でした。
級長さんとして我が家の猫たちを見守ってくれました。
子育て上手のベビーシッターさん。
最後は娘にもその姿をしっかり見せていってくれました。
美しい。
こんなに美しく賢く、優しい子は他にいないよ。
私の自慢、我が家の自慢です。

でも、シータは我が身をもって、
私に大きな大きなプレゼントを残していたのでした。
この時点ではわからなかったけど。

(続く)


老い



ここ1ヶ月ほど、低飛行ながらもそれなりにレトルト食べていたシータさんですが、
体重は、今朝とうとう3kgを割ってしまいました。
背中もお尻も骨と皮で、撫でるとゴツゴツして、
泣くまいと思っても泣けてしかたありません。

それでも、よろよろと寝床から出てきて、
ご飯ですか?
と、みんなと一緒にテーブルに並びます。
今朝はレトルト舐めていても口に入っていない感じ。
ちょっと動くと呼吸が荒くなるし、心音は随分速いと感じます。
それでも水は飲んでくれているのでよしとしています。

何度も尻尾家族を見送った経験から
残された時間が少ないのをひしひしと感じていますが、
点滴に通ったり、入院させたりはしないと決めているので
静かに見守っています。
ジタバタしない。一喜一憂しない。
いつもそう誓うのに、誓いを守れた試しがありません。

どの子も特別でしたが、
シータはナムが亡き後、ナムに任命されて我が家に来たような賢い子なので
その後、次々に保護猫たちを受け入れた私に
負い目を感じさせないように?
子猫たちを面倒見てくれました。
ベビーシッターのシータ。
本当は一人っ子が良かったのかな?聞いてみたいな。


先輩猫たちが大好きな日南子。
最近筋肉質のムキムキ女になり、
そのムキムキで、シータに、親愛のゴッツンするものだから
シータがよろけてしまいます。
でも、もう、小言を言う体力もないね。
2018111012354079b.jpeg

夫が一泊旅行から戻った日。
偶然にも六匹、全員カメラにおさまりました。
20181110123531fc6.jpeg

一日でも一時間でも1分でも、
シータさんの地球時間が長く続きますように。

10月14日の大仙カンマーコーア演奏会が終わり、
怒涛の秋が去りました。
ほんとに。。。
まぁ、多くは語るまい。

結論

違う!こうじゃないな。


あ。二年前も同じこと言ってたわ、私。


夫から「学習しないやつだなぁ。」と、呆れられつつ、
しかし、
「クラシックなんか全然わからねーども、えがった。」
と、褒めてもらえたのでよしとしよう。

その週の土曜日、
横手かまくらFMのごやさん主催の「気まぐれ弾き語りコンサート」に出演させていただきました。

201810281832468bb.jpeg

201810281832439c1.jpeg

アットホームでじんわり温かいコンサートでした。
なんか、涙出た。
音楽は人に寄り添って奏でる人と聴く人が共に心を揺さぶるものだと思う。
技術の凄さを見せつけるものでもなく、
だからといって聴く人に媚びるものでもなく、
言い方は当たってないかもしれないけど
ステージのこっち側とそちら側は対等であらねばならないと思いました。

もしかしたら、この十年の間に私も傲慢になっていたかもしれない。
そんな反省も踏まえて、
原点に帰ろうと思います。


なによりも演奏する側が楽しい!嬉しい!幸せ!と思える演奏会であること。
そして、聞いてくれた人が、
また聴きたい!何度も聴きたい!
と、思う演奏会であること。

演奏する側の我々はプロではありません。
技術の及ばないところは強い思いでカバーします。
だけど、自分だけ気持ちが良いものはステージに上げてはいけません。

ステージはある意味、自分のものだけど、
ある意味お客様のものであるから。

やっぱり老若男女、ステージで輝けるような演目をやってみたい。
人生最後の私の目標だな。
そして、もう一つ。
自分も輝きたいな。


このコンサートで、夫の高校の同期生とばったり!
彼とはよく色んなイベントで会うんです。
後日、彼が、
「おい、お前の奥さん、色んなところで活躍してるけど、お前ら夫婦仲、大丈夫か?」
と、心配してくれたそうです。
すかさず、周りにいた同級生が、
「Rは(夫)ゴルフと母ちゃん(私)しか見えてねーんだ。」と叫んだとか。
思わずニンマリ。
我が家の家訓は
「人生一回しかない。
好きなように生きるべし。」
夫は私の応援団長です。
それを再確認したので、
今年の苦労は相殺されました。

12月は街角コンサート2回。
そして本命のクリスタルコンサート。
色んなアイディアが出てきて、だんだん盛り上がってきました。

««BACK  | BLOG TOP |  NEXT»»