12月1日はレジェンドのコンサートだった。
中二階っていうの?ステージ下手の一番前に陣取り、出入りする歌い手さんに手を振って、振りかえしてもらい(もー、完全に自分を見てると思い込むおばさん!)握手しまくり、ひろしさーん!りょうちゃーん!と名を叫び、
いやいや、楽しいひと時だった。
そして、昨日は劇団四季のソング&ダンス「感謝の花束」
三列目、通路側で、またまた素敵な女優さんと握手できた。
四季の舞台、前評判通り、半端なかった!照明も大道具も、演出も「ひー…ここまでやっちゃいますか…」と、圧倒された。
夢の世界だった。
あらためて、本物は残る!と思った。
私たちが愛してやまないクラシック音楽やクラシックバレエ!
ますます大好きになった。
そして、感動やユーモアのツボが同じ仲間といる時の心地よさったら、何にも替えられないね。
前ふり長かった。
ここから今日の本題。
小学校教師をしていた頃、六年生が卒業までに完成させねばならないものがあった。
その名も「百枚文集」
卒業までに、作文、詩、短歌、研究論文、なんでもいいから原稿用紙百枚分の自分だけの文集を作るのだ。
修学旅行、部活のことなど、共通のテーマはある程度用意するが、ほとんどは自分で探してくる。
内容は二の次。
とにかく百枚という数字を達成させることに意味があった。
中には倍近い枚数を誇る子もいたが、ほとんどは締め切りギリギリで慌てふためいて枚数をかせぐのだった。
それでも、百枚に限りなく近く頑張れる子はまだいい。
「書くことがありません。」
締め切りの日、半分にも満たない枚数で提出する子が一割近くいた。
中でも気になったのが、成績もそんなに悪くなく、特に生活指導上の問題があるとも思えない子。
百枚?できませんよ。それが、何か?
という、しれっとした態度だったこと。
私は、白紙の原稿用紙を付けたして、百枚にして製本してもらった。
当時の製本はきわめて原始的な方法だったので、百枚に大幅に満たない子の文集は製本機械を調整し直さないといけないと聞いたので、一番の理由は製本屋さんへの気遣いだったが、もっと深い意味もあった。
百枚は無謀な数字だったろうか?
確かに書くことが苦手な子にとっては苦痛だったかもしれない。しかし、やがて社会に出た時に、どうしても期限を守らねばならないことや、どうしてもやり遂げなければいけないことにぶつかった時に、あなたはどうするの?
この白紙の原稿用紙はあなたが投げ出したあなたの心の空白ですよ。
そんなことを言って渡したかもしれない。
その後、その子がどんな人生を歩んだのかわからないが、
たかが百枚文集、されど百枚文集。
学校時代、学業成績の出来、不出来なんか大した問題ではない。
できてもできなかったとして、最後までやるべきことをやったかどうかが一番の問題だ。
一生懸命勉強に取り組んだか?必死で部活に汗を流したか?泣いて笑ってその時代を過ごしたか?
たったそれだけのことだけど、
それができたかどうかで
素敵な女性になれるか(または男性)どうか、決まってくる。
子供の頃は勉強も課外活動もいいかげんで、自己中心的で、礼儀もわきまえない子でしたが、大人になって誰からも慕われる素晴らしい人になりました……って、経験上、あまりお目にかかったことがない。
だって考えるもん。
この状況どうしようって思うもん。
小学生や中学生はさ、目一杯の言い訳が許されるよ。高校生も、まあ大学生だって、一応学生だから仕方ないかって思える。
でも、社会人は許されない。向き合わないとか、回避するとか、それ、許されないよ。
私が気に入るとか気に入らないとか抜きにしても、許されないのよ社会人は。
仕事や公共の場でそんな振る舞いをするやつ、信用できるわけがなかろうよ。あなたにお願いしてるのよ、あなたの仕事なんだから投げたら終わっちゃうのよ、って思う。
すまん。
愚痴でした。
ただただ素直に出来ないと言われたほうがどんなに愛しやすいか。
そんなことを思った日でした。