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みかえる♪

Author:みかえる♪
大仙市コミュニティFM「FMはなび」お昼の情報番組「花咲きレディオ」火曜日パーソナリティ。歌って踊る合唱指導者。大仙市からおいしい酒、自然、音楽を発信します。


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写真は産まれて間もないわたしと姉です。
葬儀が終わって、会食中に兄が渡してくれました。

わたしは望まれずに産まれ、
生活苦のため、里子に出されたとばかり思っていたのに
遠山の父が是非にと望んでいた。
そのことを知り、
今回の伊勢行きがキャンセルされたのは
過去への旅をするために用意されていた、特別な時間なのではないか。
漠然とそんなことを思い始めていました。

25日
母は、典礼会館の一室に安置されていました。
何人かの見覚えのない人たちに挨拶もせずに、
亡骸を覗き込むと、わたしの知らない顔がありました。
わたしの知っている横手の母さんは、ふくよかで深いアルトの声で。。。
えーと、それから。。。。

だめ。
それしか知らない。
なにも覚えていない。
施設に入所しているとは聞いていました。
何度か行ってみようかなという気持ちになったこともありましたが
今さら会ってどうする?
第1、もう誰のこともわからなくなってるというし。

でも、やっぱり会いにいけばよかった。
「美果ちゃんとゆっくり話がしたいって、いつも言ってたよ。」
その言葉が胸を締め付けます。

その時、その場にいた人の一人が
「美果ちゃん?美果ちゃんだが?」と、駆け寄って来ました。
え?
もしかしてみちこ姉ちゃん?
一番会いたかった姉ちゃん?
もう五十年以上も会っていない姉ちゃん?

その瞬間、わたしの心の中に頑丈に築かれていた堤防が
崩れ落ちました。
「私は何も知らなかった!誰も何も教えてくれなかった!」
姉にすがって小さな子供のように泣きじゃくっていました。
姉も泣いて
「終わったことだよ。もう、全部済んだの。これからは兄弟三人だよ。」
と、私をしっかり抱きしめてくれました。

わたしには10歳年上の兄と7歳年上の姉がいます。
これもまた不思議な縁なのですが、
兄は、義兄と同期生です。
姉の年は初めて知ったのですが、何と夫と同じ年でした。

わたしが幼い頃、兄と姉はよく遠山の家に遊びに来ていました。
遠山の父が、「いつでも遊びにおいで。会いにおいで。」と、言っていたというのです。
それが、ある時期を境に来なくなり、
遠山の父が亡くなってからは
親戚筋とはほとんど付き合いがなくなってしまいました。

遠山の母と、横手の母さんの間に何があったのか
今となっては憶測でしか語れません。
そして、姉の言う通り、もう全ては終わったこと。前を向いて生きていくしかないのです。

産んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう
遊んでくれてありがとう
叱ってくれてありがとう

「あ*り*が*と*う*の歌」が心に響きます。

どんな縁で出逢ったのか
どんな約束をしてきたのか
それはお互い内緒の秘密
あとで全てがわかるだろう

天国で二人の母は
どんな話をしているでしょう。
「こんな脚本を二人で書いて、今回の地球での人生はドラマチックだったね。」
なんて話しているに違いないと思います。

さて、
長い身の上話もそろそろおしまいにします。

今回の心の旅は、
もし、何かひとつでも条件?というか、必要なものが欠けていたら
決して実現しなかったでしょう。
発端は愛するシータさんの不調です。
シータは自分の命の時間を差し出して、私に人生最高のプレゼントをくれました。

しかし。
それだけではありませんでした。
不思議な導きがあったのです。

先日、
カラオケ世界大会に出場する小松ミユキさんという素敵な女性の
歌のお披露目会の司会をしました。
小松さんにはお会いしたこともなく
本当に急な依頼でした。
「会のおしまいに、両親に感謝の花束をサプライズで用意してるんです。
段取り、よろしくお願いします。」と、いたずらっぽく笑うお嬢さんに
「あら。結婚式みたいね。」と、私も笑いました。
しかし、そのプレゼントをする際に彼女は言ったのです。
「本当の子供じゃないのにここまで育ててくれてありがとう。
みんな知ってて、私だけ知らなかった。だからグレたこともあったけど
今は感謝の気持ちしかない。」

そんな‼️

思えば、メッセージだったのですね。
その時はまだ気づきませんでしたが…

もう一つ。
音楽樹がらみです。
尊敬する片山みゆき先生の指揮で
これまた大好きな作曲家でピアニストの寺嶋陸也さんの曲が演奏されると聞き
しかも初演作品!
指揮の勉強にもなるし、なによりも歌いたいなと、
来年二月に千葉県柏市で行われる
うたびと「風のつどい」さんの演奏会に参加したいと手を挙げました。
千葉県柏市がどこなのかも知らず、
もちろん知り合いもいないけど。

なんと‼️
五十年ぶりに会った姉は
千葉県柏市に在住していました

横手の母さんが仕組んだとしか思えません。

過去への旅が終わりました。
たくさんの人に支えられて、生かされていたことを知りました。

還暦は0歳。新しい旅の始まりです。















この二人は姉妹です。若い頃はきっと仲の良い姉妹だったはずです。
左は私の母です。
右も。。。。
私の母です。この11月21日に亡くなりました。

話はシータさんから離れます。

ここからは長い長い話になりますし、
私の身の上話になりますから、スルーしていただきたいです。
誰かに知ってもらいたいからということではなく
ただ、純粋に人生には奇跡が起こるんだ!と、
心が震えたことを記しておきます。



母が産みの母ではないと知ったのは大学生の頃でした。
大学生になって、大酒呑んで朝帰りするような素行の悪い娘に我慢ができなかったのでしょう。
ある日、「お前は本当は私の子じゃない。」と、母は叫びました。

産みの母と育ての母は姉妹でした。
叔母さんと呼んでいた人が私を産んだ人で、
二十年共に暮らした人は
その人の姉でした。
その時聞かされたことは
混乱した頭ではきちんと処理できなかったと思います。
知ってしまったからと言って、実の母の元に駆け込むような勇気もありませんでした。
そのまま、なにも知らなかった時と同じように過ごし、
やがて社会人となった私は、
産みの母のごく近くに就職しました。
しかし、
やはり会いに行くこともなく、
月日は流れたのです。

なぜ会いに行かなかったのか。

育ての母に
「決して会いに行ってはいけない。生活が脅かされるようなことが起こるよ。」と、
言われ続けていました。

だらしない暮らしなのだ。
お金に困っているのだ。
行ったら利用されるに決まってる。
あっちはお金に困って、お前を里子に出したのだ。

私はそれを信じ、
母方の親戚筋には決して近づかず、
当然、産みの母の家からも遠ざかる生活を続けました。

平成十三年には育ての母が亡くなりました。
それでも
その後も言いつけを守って、誰とも交流せず、
親戚筋に会うとすれば、誰かの不幸があった時だけ。
そして、今回、叔父の死。
いつものように火葬と葬儀に出席してそれでおしまい。
そう思っていました。

従兄弟が、
「あのね、相葬いって、喪主同士というか、その家同士が行き来しちゃいけないだけなんだって。
それでね、叔母さんの葬儀、急だけど25日に決めたから、出席できるか教えて。」
叔父が亡くなり、その二日後に叔母(実の母)が亡くなりました。
はじめは、不幸が重なったので、叔父さんの不幸が明けてから
お別れの会をしようという計画だったらしいのです。
あ。それなら行くわ。と、思っていましたが、
今日23日葬式で、1日置いて25日?
先週水曜日、シータさんも危篤状態で、コーラスの練習ドタキャンしてしまい、
日曜日なら挽回できると思っていたので、

「あー。わたし、仕事があるから無理だわー。」
と、答えました。
従兄弟も
「いいんだ。無理しなくてもね。」と、言ってくれたので、
その時点で、産みの母の葬儀は行かないや。と、おもっていたのです。

叔父さんの火葬の席で
一番下の叔母さん(亡くなった叔父さんの一番下の妹)、従姉妹(猫好きゆえに、唯一交流していた親戚)、従兄弟の奥さん(親戚筋の不幸の席で、常に隣になる)と、お茶を飲んでいました。
ふと、私の口から
「で?私って、なぜいらない子だったの?」と、いう言葉が発せられました。
自分の意思ではなかったかのように、自分の耳にも響きました。
言う気は無かったのに、なぜそんなこと言ってしまったのか、
自分でも不思議でした。

その瞬間、
一緒に居た三人とも
驚いた顔で
「え?」

叔母さんが真っ先に否定しました。
「遠山先生(育ての父)が美果ちゃんを望んだの。姉(育ての母)のところには子供ができなくてね。
それで、産まれたら是非!って。要らなくて捨てられたんじゃないよ。」
従兄弟の奥さんが
「わたし、何度か(介護施設に)お見舞いに行ったけどね、
叔母さん、いつも美果ちゃんとゆっくり話がしたいって言ってたのよー。」
従姉妹も
「違うよ。捨てられたんじゃないよ。」

え?え?
何なの。
母から聞かされてたことと違うじゃない。
何でみんな知ってて、わたしだけ真実を知らないの??

悔しいのと
悲しいのと
寂しいので

胸が塞がりました。

チクショー、私は何で捨てられたんだよ!と、
言ってやろうと思ってたのに。。

三人の思いがけない言葉に、
気持ちが揺らぎ、
「前言撤回。葬儀に出るよ。」
と、決心したのでした。

(つづく)




こうしてシータは旅立ちました。
夫は「旅行中、気がかりで楽しめない」なんて言っていたのです。


とーちゃん、
大丈夫だよ。
ボク、先に行って待ってるから。

シータがそう言っているとしか思えませんでした。
夫にもたくさんたくさん声にならない声で訴えていましたから。


私は、
叔父の葬式に出席して、
終わるのを待たずに帰宅。
シータを荼毘に付すため、娘と二人でいつもお世話になっているお寺さんへ。
やはり、お別れはつらくて、
もう、あのすべすべの体に触れないんだと思うと
とても耐えられませんでした。

お寺の敷地で、感傷に浸ろうとしたところに
突然知らない番号からの電話。

内容は、
何とかという合唱団の者だけど、
連盟の合唱祭でおたくの合唱団が歌ったあの曲は楽譜が出版されてないのか?

えーーー、それ、今でなくていいじゃん!
と、
ちょっと不愉快になり、
それでも、楽譜が欲しいなら後日差し上げますよ的なことを言って電話を切りました。

すると、長女が、
「おかあさん、
それ、シータさんのメッセージじゃない?」
と、言いだしたのです。
私はピンとこなかったのですが

「コーラス虹の会って言ったよね。
虹だよ。虹!
しかも、
その方が求めていた楽譜は
「ありがとうの歌」
空に昇っていくシータさんからのメッセージだよ、それ。」

な、な、なんと、
偶然にしては出来過ぎ‼️

そこでまたまた涙腺が崩壊。

「どんな縁で出逢ったのか。
どんな約束をしてきたのか。
それはお互い内緒の秘密。あとで全てがわかるだろう。」
この歌詞、深すぎる。。。

娘が今回シータさんの死に立ち会わなかったら、
私はメッセージに気づかなかったと思うのです。
この世で起きるすべてのことは、多くの人々が
立ち位置、時間、現れる場所など
パズルのようにスパっとハマる時に
正しい方向に向かう。
全てが明らかになる。
なぜかその時心にストンと落ちたのでした。

しかし、
この時点でもまだ
今回の出来事の全貌は明らかにされていませんでした。
それは、
25日の叔母の葬儀で明らかになりました。

(つづく)

11月22日午後8時12分頃、
シータさんは旅立ちました。
苦しむことなく、穏やかな最後でした。
また、ふと顔を上げて、「ご飯?」と言いそうなほど可愛く綺麗な表情でした。

おもえば、1ヶ月ほど前から
急激に食べる量が落ち、
あれ?
なんだか23日の伊勢行きのあたり、難しい状況になるかも。
と、感じたのですが、
伊勢行きは職員も楽しみにしているのであっさり取りやめにはできません。
ギリギリまで様子見しましたが、
日曜日の段階で私は行かない!と、決断し、
何があっても夫は行くことにしようと決定しました。

19日、叔父の突然の逝去の知らせがはいり、葬儀は23日というではありませんか。
伊勢への出発の日です。
私はシータの状況いかんにかかわらず、行かれなかったわけです。

そして、
21日、一時シータが危篤状態に陥り、
今夜お別れか?と、思った矢先、
今度は叔母の死の知らせが。。
叔父と叔母ですから、二人は姉弟です。
なんと、こんなこともあるんですね。

21日、私はほとんど寝ずにシータの側にいました。
弱ってはいましたが、呼吸は徐々に穏やかになり、表情も苦しそうではありませんでした。
朝、つい、うとうとしましたが、シータは息をしています。
ほっとして、
シータ、水飲む?
と、水桶を差し出しましたが、
昨日まで自力で飲めていたのに、その朝はダメでした。
それでも飲みたそうに見えたので、シリンジで少しずつ飲ませたところ、
飲み込む力がありました。

そのあと、
その場所でおしっこをしてしまい、
その後、また呼吸が荒くなりました。
そして、近くに行くと、さかんになにかを訴えるように
声にならない声で何度も鳴きました。
首を上げて、見回すような仕草、
身の置き所が無くて空をつかもうとする前脚。
何度も見てきているので
お別れが近いと感じました。

それにしても、いったい何を言ってるんだろう。。。

夜、娘が駅に到着という知らせを受け、
シータに言いました。
咲が帰ってくるよ。
会ってあげてね。
生きるって素晴らしいってことと、死にゆく哀しみを教えてあげてね。

シータはちゃんと聞き届けてくれました。
娘の帰宅後、わずか20分足らずで、最後の一呼吸を終えたのでした。
最後まで立派でした。
級長さんとして我が家の猫たちを見守ってくれました。
子育て上手のベビーシッターさん。
最後は娘にもその姿をしっかり見せていってくれました。
美しい。
こんなに美しく賢く、優しい子は他にいないよ。
私の自慢、我が家の自慢です。

でも、シータは我が身をもって、
私に大きな大きなプレゼントを残していたのでした。
この時点ではわからなかったけど。

(続く)


老い



ここ1ヶ月ほど、低飛行ながらもそれなりにレトルト食べていたシータさんですが、
体重は、今朝とうとう3kgを割ってしまいました。
背中もお尻も骨と皮で、撫でるとゴツゴツして、
泣くまいと思っても泣けてしかたありません。

それでも、よろよろと寝床から出てきて、
ご飯ですか?
と、みんなと一緒にテーブルに並びます。
今朝はレトルト舐めていても口に入っていない感じ。
ちょっと動くと呼吸が荒くなるし、心音は随分速いと感じます。
それでも水は飲んでくれているのでよしとしています。

何度も尻尾家族を見送った経験から
残された時間が少ないのをひしひしと感じていますが、
点滴に通ったり、入院させたりはしないと決めているので
静かに見守っています。
ジタバタしない。一喜一憂しない。
いつもそう誓うのに、誓いを守れた試しがありません。

どの子も特別でしたが、
シータはナムが亡き後、ナムに任命されて我が家に来たような賢い子なので
その後、次々に保護猫たちを受け入れた私に
負い目を感じさせないように?
子猫たちを面倒見てくれました。
ベビーシッターのシータ。
本当は一人っ子が良かったのかな?聞いてみたいな。


先輩猫たちが大好きな日南子。
最近筋肉質のムキムキ女になり、
そのムキムキで、シータに、親愛のゴッツンするものだから
シータがよろけてしまいます。
でも、もう、小言を言う体力もないね。
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夫が一泊旅行から戻った日。
偶然にも六匹、全員カメラにおさまりました。
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一日でも一時間でも1分でも、
シータさんの地球時間が長く続きますように。

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